溝畑槙也
岐阜県郡上で生まれ育ち、若年時代からフリースタイラーとしてHYWODを通じ滑りでスノーボードの楽しさを表現。そして、その楽しみをより多くの人たちに現場で伝えるべく愛知・岐阜のプロショップの力も借り、共にイベント企画からパークディレクション、設計までをこなすエバーアクティブ株式会社を立ち上げる。現在は“スノーボーダーとして生きる”をメーンテーマに、郡上を愛するものとして地元の雪山でライフスタイルを送る。
愛知・岐阜に住む多くのスノーボーダーが好むような地元発信のスノーボードを生み出すため、多くの先駆者、シェイパー、そして自社工場を持つバックヤードが整った先輩たちのいる環境の中で、スポンサーという枠を超え、もっと奥深い人と人との関係を掘るべく、12FAMILYに加わり新たなプラットフォームに立った。滑りでは今までも羽島SHAREなどイベントや滑りを共にしてきたマイケルを筆頭に、12の次の1ページを切り開いていく。
家族と車とロッドと酒をこよなく愛する3児の父親。ドライブ感のある力強い滑りが魅力。
オールラウンドスノーボードとして、世代を越え楽しめるグロウは畠山絵美のようなライダーの玄人ニーズもある1本。オールラウンドとは言葉の通り、ゲレンデのターン、オーリーやトリック、地形ライドからハーフパイプなどのRセクション、そしてパウダーまで全てのスノーボーディングを指します。人により好きなジャンルや滑り方、ボードの好みはありますが、どのラインナップよりも扱いやすく、自分のイメージする滑りを思い通りにするには最適なバランスが必要で、その点では長けているモデル。
瞬時にコントロールが不可欠な「ジブのコンテストでも適度な反発とスムースなエッジコントロールで頼れる」と、畠山絵美も納得の仕上がりです。
2013年の話。
北島光は新潟県の某ストリートで1月に負傷。しかし4月に開催されたHOLY BOWLY, MINAKAMI VIBESに彼の姿があった。その有言実行の記事が当時発売されたsnowstyle 2013年3月号にこう書かれている。(一部抜粋)
「北島光」腎臓破裂。シーズンはじめ、新潟県某ストリートポイントのダブルダウンでバックリップにトライしていたワカは干された。彼が(1月17日現在)入院している上越市の病棟より電話でのインタビュー。
当時26歳のワカこと北島光は2シーズン前に石打丸山で開催されたPSAスロープスタイルでプロ昇格。中途半端なことは大嫌いで、常に全開な姿勢で攻めるのが持ち味。彼がプロとしてこだわるのは上手いか下手かよりもカッコいいかどうかにこだわることだ。「ライダーなら上手いのは当然だと思うのが前提。昨日今日の大会はカッコよくなくても勝てる。転ばずに高回転を出して立ったものが勝利。」彼の言うカッコいいとは、”我がを持ってるライダー”であること。他を真似ず常に100% (実際には120%ですぐ怪我をする)のメンタルで挑む。たまに今回のような結果(負傷)は「ただ、負けただけのこと」と彼は語る。
復活は4月のイベントにしたい。滑れずとも春の雪山に行きたいと思っている。それが決断事項。行きたいと言うのはエントリーでなく、メーカーブースの椅子に座るだけ。彼にとっては十分な理由だ。今は寝返りすらうてない。「バイブスを感じに行くんです。板は持って行きません、ビールを持って吠えに行くんです。体がついていかないんで、滑れないし、僕そんな優等生じゃないんで(笑)。でもスノーボードの楽しさ、テンションをぶち上げてくれるカッコいい仲間、それが僕のモチベーションに繋がる絶対的なものがあると知っているので。悔しさも、焦りもないです。ただスノーボードが好きなだけです。あー、お腹痛いんでもう寝ます。」彼は必ず今以上の巨大な男魂を持って帰ってくる。また物干竿を持って。
そして4月の天神平に彼の姿はあった、スノーボードを持って。